こんにちは。Ricaです。
少し涼しくなってきました。
私は秋が一番好きなのでこれから楽しみな時期です。
今日は9月最初の礼拝で、聖餐式もありました。感謝でした。
今日の聖書箇所は、イエス様が、5つのパンと2匹の魚から、5000人(以上)にパンと魚を与えられた奇跡の話(マタイ14章)でした。
メッセージの中で、「看板にとって重要なのは矢印」というたとえから「自分、ではなくイエス様を伝える、紹介することの重要性」を再認識させられるお話しがあり印象に残りました。気付けばいつの間にか、自分が、自分が、自分では、自分なんか・・と自分のことにばかり焦点が向いてしまっていることに気づかされました。
自分のことを見るなら、欠けたところばかりで、罪もおかすし、曲がったところもあって、自分というのは本当にどうしようもないな、と思うことも多い者です。
でも伝えるべきは自分のことじゃなくて、イエス様のことなのだとなんだか納得しました。
自分には良い所が見つからなくても、欠けだらけでも、それでいいと思えました。
自分を見てもらうために、生きているわけじゃなく、
神様を、イエス様を見てもらうために生きているんだと気づかされました。
たしかに看板の、矢印そのものはなにもすごいことはありません。
矢印の先におられる方がすばらしいのです。
イエスさまをおいてほかに、何を信じても、そこに真の救いはありません。
イエス様だけが救い主であられ、人間の罪を贖い、滅びから救う力を持っておられます。
この力は神からくるものです。そしてイエス様ご自身が神であられ、また人となられた方です。
イエス様は今も生きておられます。人として生まれられ、十字架にかかって死なれ、葬られ、三日目によみがえられ、今は天におられます。そしてやがて地上に戻ってこられます。
私はほんとうに罪人です。ですが、私のようなどうしようもない者さえも救われるために、
イエス様は十字架におかかりになり、その血によって私の罪の代価を支払ってくださいました。
イエス様はあなたが救われるためにも死んでくださったお方です。
あなたがまことの救い主イエス・キリストを信じるなら、あなたの罪は赦され、永遠のいのちが約束されます。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)
どんなグミが好き?
▼本日限定!ブログスタンプ