さんびのうた

オリジナル賛美の作詞、作曲

弱いときこそ

こんにちは。Ricaです。

いつもお読みいただいてありがとうございます。

 

私は精神障害をもっており、今は週に何日か障害者の就労支援施設(B型)に通っています。

今日は体調がおもわしくなく、お休みしました。

天候の加減とか、疲れとか、いろいろ重なりました。情けないですが。

 

弱さをおぼえるとき、必ずと言っていいほど思い浮かぶ聖書の一節があります。

それは、パウロが肉体に一つの「とげを与えられた」と書いている、第二コリントの12章・・・

 

「このことについては、これを私から去らせてくだるようにと、三度も主に願いました。しかし主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さの内に完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ喜んで私の弱さを誇りましょう。

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」(第二コリント12:8~10)

 

私たちはしばしば「頑張ってもっと強くなろう」という方向に舵を切りがちです。でも、神様の御力は、むしろ弱いところに、弱さの内にあらわれるのだと、主ご自身が言われています。

 

もしも自分が強くて完璧だったとしたら、神様を必要ともしないで過ごすかもしれません。むしろ弱くて、困難があって、辛い時ほど、神様を呼び求めることが多いものです。私は主を信じる前から弱い人間でしたが、信じるようになってからさらに自分の弱さを知ることになりました。神さまの恵み、憐れみ、助けなしには、一人の人も生きることができないのです。人間はそのくらい弱いものであると思います。

この世界というのは、神様がお造りになったものであり、私たち一人一人が、神様の造られた作品です。けれども罪に堕ちているがゆえに、このことがわかりづらくなっています。

 

あなたは神様に愛されています。

私自身が長いことこのことを受け入れられませんでした。自分には愛される資格はないと思っていました。でも実際に、神様は私たちにイエス様を通して愛をあらわしてくださっています。

あの十字架は、流された血潮は、御手の傷あとは、私たちの罪のためでした。

エス様は、ご自身の血でもって、私たちの罪の代価を支払ってくださいました。

あなたが、救い主イエス様と出会うことができますように。

 

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