さんびのうた

オリジナル賛美の作詞、作曲

見過ごされない神は見捨てられない神

こんにちは。Ricaです。

最近体調が思わしくない中ですが、ハーベストタイムの無料メッセージを聴いたりする時間が与えられて感謝です。

カメのようなのろさですが、少しずつ聖書を学んでいけたらと思っています。

 

今日は麦と毒麦のたとえの話の解説も聴きました。

(マタイによる福音書13章24-30節のあたり)

とくに新約聖書ではイエス様のたとえ話が非常に多いのですが、

たとえ話はわかったようでわからないものが多く、この箇所も私はずっとわかりませんでしたが、

今回聞いて、麦と毒麦のたとえが、信者と未信者のたとえではなく、

クリスチャンの中での本物と偽物、ということのたとえだと聞いて、とても複雑な心境になりました。

ただ、神さまは正しい方であって、義なる方であって、不法を行う者を火に投げ入れることもお出来になる方であられます。

私たちは神さまを畏れ、悔い改めなければいけないと思います。

 

しかしながらまた、神さまは愛なる方であり、あわれみ深い方でもあられます。

この前ネヘミヤ記を読みかけたのですが、9章にとても長い祈りの言葉が綴られていました。当時のイスラエルの人たちによる祈りで、その中で、イスラエル人のたどってきた過去を振り返りながら、主がどんなに恵み、あわれんでくださったかを思い起こしているような箇所もありました。イスラエルの民は神さまに選ばれた民でありながら何度も神さまの命令に背いたことがあったけれど、神さまは彼らを捨てられず、滅ぼし尽くすことはなさいませんでした。

私はここを読みながら、ああ私たちも同じなのかなあ、と思いました。同時に、私はこの神さまを信じているんだ、という思いにもなりました。情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられる神。聖書が語るまことの神さまは、生きておられる神さまです。

私は信仰歴がまだまだ浅いし、神さまのことを経験的に知るという意味ではまだぜんぜん知らなくて、でも聖書を読むことで、本当の神さまがどんな方であられるのか、うかがい知ることができるのだと思いました。

 

神さまがどれほど私たちをあわれんで下さって、また忍耐なさっておられるのか、そのことを思うときに、本当に、本物の愛というものが存在するのだと、感じます。同時に自分がなんて狭量でちっぽけな人間なのかがわかるような気がしました。

神さまが情け深く、あわれみ深く私たちにかかわってくださるのだから、私も、情け深く、あわれみ深くありたいです

私は忍耐強さがまるでないような人間ですが、神さまが変えて下さることを願い求めます・・・